昨日、新元号が発表されました。私は偶然、伊勢神宮に居りましたので、早速、来る御代の繁栄を祈願して参りました。

「令和」の響きも字面も素敵だと思います。正直まだしっくりきませんが、慣れるのも時間の問題でしょう。31年前の昭和天皇の崩御と「平成」の発表は留学していたアメリカで迎えました。日本中が悲しみに包まれていたあの時とは違い、国民が期待に満ちて発表を待つことが出来たのは今上天皇の、国民に対する深い愛情の賜物に他ならないと思います。

さはさりながら、発表後まもなく配られた号外を我先に入手しようと乱闘まがいの混乱が各地で起きたようで、その様子をテレビの映像で見ていたく興醒めしました。新聞離れが進み、ニュースは専らネットでという人が増えているのに号外には過剰反応するのが不思議です。正直、iPhoneの新機種発売なんかに対する熱狂的な反応と本質は変わらないのではないかという印象を受けてしまいました。日本人は一体、どうなってしまったのでしょう。勿論、本当は私も号外が欲しかったので今日の朝刊と共に届けられて嬉しかったですけど。

さて、前置きが長くなりました。元号が変わり国民が閉塞感から脱してリフレッシュした気分になるのは悪いことではありません。しかし、今の日本はあらゆる面で、決して楽観視出来るような状況にはありません。少子高齢化の波は確実に押し寄せ、いわゆる「2025年問題」は目前に迫っています。国家財政も社会保障制度も持続可能ではないことは明らかなのに、課題を国民と共有して真正面から取り組むことなく、オリンピックだ、大阪万博だとお祭り騒ぎに浮かれている間に、日本国民はゆでガエルとなり、このままでは日本の国力は確実に下がり、ついには破綻を迎えます。 
元号改正がもたらすポジティブな空気感は政治がもたらしたものではありません。政治は政治の責任として、空気感ではなく、新しい国家ビジョンと、それを体現する地に足の着いた政策を国民に示すことが急務です。

今後、政治の様々な側面について私の思いを発信して参ります。ご意見・ご感想をお待ちしております。