旧-ご挨拶

先の衆院選で惜敗して以降、多くの皆様にご心配頂きながら今まで何とか活動を続けてまいりましたが、この度「れいわ新選組 次期衆院選愛知10区 公認候補予定者」に内定致しました。これまでのお支えに心より感謝申し上げ、ご報告致します。

私は、2010年から6年間、参議院議員を務めた後、一念発起して衆議院への鞍替えを決断し、2017年に愛知10区から衆院選に挑みましたが、小選挙区で次点、東海ブロックでも次点に終わり落選してしまいました。その後も捲土重来を期して活動を続け、古巣の民主党の流れを汲む国民民主党に入るつもりでおりましたが、愛知10区では国民民主党の衆院選候補者を立てないという総支部の意向により叶いませんでした。その後、今日まで無所属で活動を続けてきましたが、この度、れいわ新選組に御縁を頂き、熟慮の末、新しい一歩を踏み出すことに致しました。2017年の衆院選で頂いた66,560票の重みをしっかりと受け止めながら、皆様の思いを形にすべく邁進する所存です。

れいわ新選組は出来たばかりの新しい政党です。巷間、「左派ポピュリズム」などと喧伝されていますが、右でも左でもない、イデオロギーの政治とは無縁の、市民のための市民による政党として期待を寄せています。これからは私自身がメンバーの一人として、皆さんと一緒に時代に合った新しい政治のうねりを生み出していきたいと思っております。より一層のご支援・ご指導を賜りますようお願い申し上げます。

2020年2月吉日
前参議院議員 安井美沙子

大西つねき氏の処分について

昨日、れいわ新選組において、所属の大西つねき氏の「失言」をめぐり、処分を決めるための総会が開かれました。詳細は党HPに掲載の記者会見に譲りますが、私からは自身の判断について共有します。総会に臨む前に地元のみならず、全国の実に多くの方々から本件についてご心配を頂き、貴重なご意見・ご提案を頂いておりました。重大な判断をするにあたって参考にさせて頂いた事、心より感謝申し上げます。

 総会では代表から除籍の提案があり、賛成が14、反対が2という結果になりましたが、私は反対のうちの一人でした。より正確に申しますと、除籍には反対する一方、離党勧告が妥当だと主張しました。以下に私の考えを申し述べます。

 まず、大西つねき氏の当該動画における発言内容がれいわ新選組の綱領に反する内容であることは疑いありません。また、大西氏本人が昨日の弁明時間中に謝罪を撤回したことからも、あれは本意ではないことを口走ってしまった「うっかりミス」ではなく、曲がりなりにも信条の発露であったことは間違いありません。大西氏が、れいわ新選組が掲げる反緊縮財政のビジョンを先導する役割を担っていたにも拘らず、世の中にお金を回して誰一人捨て置かれない社会を実現していこうというれいわ新選組の思いとは異なり、若者の労働力(供給能力)には限界があるから高齢者を念頭に命の選別は仕方なく、それをするのは政治だと考えていることはいまだに理解に苦しみます。また、総会の前の「当事者からの声を聞く会」や総会中の答弁を聞いていて、思った以上にれいわ新選組の考え方と乖離があることを感じました。耳を疑うような言葉や不遜な態度には冷静沈着と言われる私でも愕然とすることが何度もありました。普段、抽象概念の範囲では私も氏の考えに賛同することが多々あるのですが、現場感の欠如からくる無知を認めざるを得ませんでした。怒りに震え、涙する仲間も多くいました。ましてや、大西氏の言う命の選別対象ではないかと感じざるを得ない両参議院議員が、彼らが代表する方々の思いも含め、恐怖と怒りと悲しみに 打ちのめされている姿は見ているだけでつらいものがありました。

 採決にあたっては除籍に賛同してほしいという声もありました。しかし私が敢えて離党勧告という決断を下したのは、外形的(注1)に見れば、今回の大西氏の問題は思想の違いに過ぎず違法行為をしたわけでもなく政治倫理(注2)に悖る行動をしたわけでもないからです。除籍というのは政党として最も重い処分ですが、私としては常識に照らしよほどの問題行動(注3)でも起こさない限り、軽々に選択すべきものではないと考えています。今回、大西氏が断固としてれいわを離れないという態度を見せたなら、除籍という強行手段を取る必要もあったかもしれませんが、離党の意思を表明していた以上、党の綱領を守ろうとしない場合は(注4)一緒にやっていくことは不可能だというという理由で離党勧告をすれば「協議離婚」が成立するわけでそれで十分との判断です。

 山本代表や大多数の仲間達がそれでは足りない、除籍相当であるという判断をした気持ちも理解できます。特に、決死の覚悟でれいわを旗揚げした代表の思いからしたら許せないに決まっています。しかし私としては、処分は常に慎重にすべきという考えです。いろんな思想があって当然です。れいわ新選組として受け入れ難い思想も含めて。大西氏もれいわとは思想が違うから別々に活動をした方がいいと述べておられたので念のために確認したところ、違いを感じ始めたのはコロナがきっかけだったとのこと。もともと考え方は違ったが、コロナを機に表面化したということでしょう。「失言」によって多くの人を傷つけてしまったことは事実ですが、今、互いの違いに気づき、袂を分かつ事が決まりました。れいわ新選組は今まで以上に目指す社会像を明確にし、実現に向けて邁進するのみ、私もその一員として私のやり方で頑張ります。大西氏はご自身の信じる社会のあり方を追求されていけばいいし、それに賛同する方はそれなりにおられるでしょう。お互いに自分の方が正しいと思うのは当然ですが、相手は間違っていると叩き潰すのではなく、なぜそう思うのかを紐解き、それに対するアンチテーゼを提示し説得できるような技量をつけていきたいと思います。

 先ほど私のやり方で、と申し上げた点について付言します。ともすれば「過激な集団」と世間から捉えられがちなれいわ新選組ですが、私はその目指す社会に心から賛同し参加しました。れいわ新選組らしくない奴だと感じる方が多いことも承知しています。選挙で勝つことだけを目的にれいわに入った等、心無い言葉も頂きますが、そうでないことは私の選挙区状況を調べて頂ければ即座におわかり頂ける筈です。一般的には穏健保守・中道と見られその層にも一定のご理解を頂いている自分だからこそ、れいわの精神・政策への理解を広げていく役目があるのではないかと自負しています。自分達の主張をただ声高に叫び、わかる人にわかればいいと割り切ってしまうのは勿体ないです。れいわの外の方々にも届く言葉や態度に翻訳し、説明責任を果たしていくことが党の発展に繋がり、政策の実現に繋がる道だと確信しています。
れいわのスピリットは山本代表が誰よりも明快に発信しています。空気は読まない、既存与党にとっても野党にとっても面倒臭い存在であり続ける、同調圧力に屈しないのがれいわらしさであり存在意義です。私も今回、れいわの中で自分の思いを貫きました。ご批判もあるかとは思いますが、れいわの目指す社会を実現するための私なりの決断であることをご理解頂ければ幸いです。

(注1) 傍(はた)から見れば、一般的・客観的に見ればという意味です。安井自身がそう思っているわけではないが、そう見られる可能性があると申し上げています。
(注2) 原文では「倫理」と書いておりましたが、コメントを幾つか読ませて頂くと、これを「生命倫理」と読み込んだ方が多くいらしたようでしたので、より正確に「政治倫理」という言葉に置き換えました。
(注3) 原文では「問題」としていましたが、より正確に言えば、私としては目に見える形をイメージしているので問題行動としました。
(注4) 原文では「決定的に思想が違う場合は」としていましたが、熟考した結果、より正確に言えば、綱領を遵守する意思があるかどうかの問題だと思い至りました。

泉房穂・明石市長の子どもを「誰ひとり置き去り

「一丸の会」の神戸合宿に明石市の泉房穂市長が講師として来て下さいました。市の公共工事がなかなか進まないのに業を煮やし暴言を吐いて出直し選挙をされたことで一時、ワイドショーに出ずっぱりでしたよね(汗)元々民主党の代議士だったのですが、私が参議院議員になった時にはもういらっしゃらなかったので初めて生の泉市長にお会いしました。

子どもに優しい、子育てをし易い明石を牽引してこられたことは前から聞いていましたが、中でも養育費不払いの親に代わって市が立て替え払いをして親から請求するという取り組みをどこよりも早く始めたということが気になっていました。離婚時に取り決めた養育費を支払わない片方の親(主に父親)が8割というデータがありますが、殆どは泣き寝入りで問題が必ずしも顕在化しているわけでもないのに、どうしてそんなに痒いところに手が届くのだろう?と興味津々だったのです。講演の中で、明石の子どもを「誰ひとり置き去りにしないという決意の下、考え得る施策すべてに着手していることがわかりました。養育費の肩代わりは多数あるメニューの中の一つに過ぎないのです。しかしながら地方自治体としてそう簡単に出来ることではないですし、発想と実行力が凄いと感動したのです。

実は私も離婚経験者で、養育費を長らく払ってもらえなかった当事者です。二人の勝手で離婚するけれど子ども達は協力して育て続けようと誓って別れ、その後も学校行事には揃って参加し、連絡を取り合いずっと協力し合っていくつもりでした。ところが時間の経過と共に、再婚したり転職したりと各々の生活も変化していきます。次第に養育費の支払いが滞るようになりました。状況を聞こうにも連絡すら取れません。事情があるなら減額や延納に応じるつもりでメールを送っても話は遅々として進みません。予定外に家計の支出が増え収入を確保しなければならない上に、一つの問い合わせに回答を得るのに半年掛かることはざらでストレスが溜まりました。とうとう弁護士の友人に相談し、相手の給与から天引きしてもらう手続きに踏み切る旨、連絡を入れると「それをやられたクビになる。そしたら尚更、支払いは出来なくなる」と言われ実行には移しませんでした。

私も苦労はしましたが、母の助けもあり経済力をつけていったこともあり何とか乗り切れましたし、相手はこれでも良心的な方だと思います。世の中のシングルマザーの多くは経済力もなく子どもを預ける先も無いままに子育てを一気に引き受け、心細くつらい日々を送っているのではないでしょうか。特にDVが原因で離婚した場合などは、不払いの相手に連絡を取ることも出来ないのだろうと思います。勿論、最大の問題は子どもの成長に悪影響が出かねないという点です。ひとり親家庭の半数以上が貧困状態にあるという調査結果もあります。「誰ひとり置き去りにしない」という哲学に立てば、現実にあるこの問題を放置するわけにはいきません。民事執行法の改正で強制執行がしやすくなるものの、あくまで公正証書がある場合のみ。市民の生活に寄り添う地方自治体、そして社会全体での支援が必要な分野であることは間違いありません。

参議院選挙にあたり一言

参議院選挙が始まっています。17日間の選挙期間のうち、まだ5日目だというのに、もう情勢が決まったような報道が出るのは毎度のことですが驚きます。私が初出馬した2010年の愛知選挙区では、菅総理(当時)の唐突な消費税増税宣言で逆風が起こり厳しい戦いを強いられましたが、最後の3日で情勢が変わり何とか3議席目に滑り込ませて頂きました。政党重鎮の発言一つ、候補者の言動一つで結果はいくらでも変わり得ますので有権者におかれては最後まで関心を持ち続け、必ず投票に行って頂きたいものです。

私は常々訴えております通り、参議院のあり方には疑問を持っています。今のままでは参議院の存在価値は低い。参議院には衆議院とは別の機能を持たせ、選挙制度自体も見直す必要があると考えています。6年の安定した任期があるからこそ取り組める政策課題がある筈です。予算は衆議院、決算は参議院というのはわかりやすい差別化ですし、「老後資金2千万円」で再び不安視された年金制度はいよいよ抜本的な見直しが必要ですので参議院が取り組むのに適していると考えます。役割が刷新されればそれに見合う専門家や職域代表を選出すべきであり、例えば米上院のように人口に拘わらず各県の定員を均一にしてもいいように思います。衆議院と同様に一票の格差是正にばかりに目を向けると、合区とかそれに伴う今回の特別枠のようにどんどんおかしな話になっていってしまいます。

とはいえ、今の参議院の制度を前提とした選挙の渦中にあっては、安倍政権に対する中間選挙の意味合いが大きいことを踏まえ、真摯に向き合いたいものです。参議院選挙はあまり身近に感じない方が多いでしょうし、特に郡部にいるとなかなか選挙の熱を感じられないかもしれません。「おらが町の代議士」を選ぶ衆院選と違って候補者も遠い存在かもしれません。なら尚更のこと、政党や候補者の政策を冷静に見て、今の国政に必要と思われる候補者を国政に送ろうではありませんか。政権交代には繋がらなくとも、一強多弱、安倍一強の中で政治の質を少しでも上げることに貢献しそうな候補者を一人でも多く国政に送ることが有権者の責任であり、投票する意義が感じられるというものです。

保護猫譲渡会

大型連休中の5日、一宮市で杜の宮市が開催されました。今年で19回目となり、お天気にも恵まれたことから3万人余が訪れたということです。真清田神社から本町商店街にかかる一帯に手作りの食品や手芸品のブースが並び、10時の開店前から長蛇の行列が出来ている店もあり、イベント情報が事前に行き渡っていることを実感しました。社会活動を紹介するブースや親子で楽しめるブースも沢山あり、インクルーシブで素晴らしいイベントに進化を遂げています。本町商店街の住人としてはこの賑わいが一過性でなく、中心市街地の恒常的な活性化につながることを願うばかりです。

さて、そんな中、我が事務所では保護猫の譲渡会を開催しました。お付き合いのある「138(いちのみや)地域猫の会」にお願いして出張開催して頂いたのです。安井事務所は真清田神社の目の前、本町商店街の一丁目側入り口から3軒目という絶好のロケーション、ここなら多くの人に譲渡会というものの存在を知ってもらえるのではないか・・・との思いから。譲渡会は全国各地で地道に開催されていますが、保護猫と里親のマッチングの機会として広く認知されているとは言い難く、関係団体や個人の皆さんの労苦がなかなか結果に結びつかないことを歯痒く感じておりました。実際、当日は杜の宮市を訪れた親子連れ等が次々に立ち寄られていきました。「あー、猫ちゃんがいる!見たい、見たい!」というお子さんに引っ張られてくる親御さんが殆どでした。

すぐにその場でマッチングが成立し里親さんが見つからなくてもいいのです。とにかく、猫を飼おうと思い立った時に、ペットショップに行くのではなく、まずは保護猫を探すのが当たり前の社会にしていきたいのです。欧米では当たり前の話です。生体は洋服やスイーツではないのですから、流行りのブリードを無理に繁殖して高額で売り出し、売れ残りそうになったらセールとか、やめてほしいのです。新聞の折り込みで犬猫のセールの広告を見たら「なんかおかしい!」と感じる人が増えることが、命を大切にする社会を取り戻す第一歩だと信じてやみません。

地域猫の会の皆さんは、普段、いわゆるTNRに取り組んでいます。TNRとは野良猫を捕獲して去勢・不妊手術をして地域に戻す活動です。その際、猫の耳の先を桜の花びらのようにカットして手術済みの目印とします。野良猫の糞尿や発情期の鳴き声で迷惑を被っている方もいて、猫好きと猫嫌いが激しく対立するという事案も各所で起こっています。TNRによって野良猫は一代限りの命を全うし野良猫の数がコントロールされ、地域問題は徐々に解決に向かいます。同時に、生まれてすぐ殺処分される子猫を減らすことができます。そんな息の長い取り組みの中で、保護せざるを得ない猫がどうしても出てくるので、その子達の里親探しのために譲渡会を行っているというわけです。

名古屋市や東京都など、殺処分ゼロに向けて積極的な取り組みをしている自治体が増えていることは喜ばしいことです。一部のボランティアの方々が私財を投じて犠牲を払って取り組む問題ではなく、本来は国として動物と人間の共生に責任を持って取り組むべきです。国会で予算を倍増するよう要請をしたこともあるのですがまだまだ意識は希薄です。地域から、現場の声を国に挙げていく必要があると強く感じています。

ふるさと納税について

ふるさと納税制度が始まって10年以上が経過し、すっかりお馴染みになりました。「地方を応援したい」、或いは「節税したい」とそれぞれの目的で利用されている方も多いことと思います。また、過度な返礼品を巡って度々注目を浴びてもきました。大阪の泉佐野市は魅力的な返礼品を豊富に揃え、どこよりも多くの寄付を集めましたが、あまりに行き過ぎだということで、総務省がとうとう制度を見直すこととなり、同市が総務省批判を展開しているのは報道でご案内の通りです。

6月1日から始まる新制度では、総務省が新基準に基づき、参加できる自治体を判断するわけですが、返礼品が地場産品であり、調達費が寄付額の30%以下であることが指定の要件となります。現時点では東京都以外の全自治体が新制度への参加を申請しているそうです。泉佐野市も参加しつつ、制度への批判を続け、再見直しを迫るのでしょう。

私は参議院議員当時から一貫してふるさと納税制度自体に懐疑的で、国会質問等でも度々、制度の問題点を指摘してきました。地方を活性化するためという趣旨には大いに賛同するものの、制度設計が悪過ぎるからです。返礼品競争が過熱することは初めからわかっていました。東日本大震災の被災地を救済する目的で本制度が活発に利用されたことはいい意味で想定外でしたが、通販サイトと何ら変わらぬ様相の「ふるさと納税サイト」なるものが次々出来てきて、非常に違和感を覚えました。私とて正直、節税したいのはヤマヤマでしたが、筋を通すために一切利用しないことにしました。

一極集中を何とかしなければならない、過疎や法人税の見込める企業がない等、安定した税収の確保が構造的に難しい地域を応援するための税制として、発想は画期的だと思います。しかし、返礼品は最初から規制すべきでした。あくまで寄付であって、税額控除も受けられるのですからそれだけでいい筈です。自治体間の競争を煽って本来の趣旨と違う方向に行った結果、本来税金を納めるべき居住地の税額控除が膨らみ、応能負担の原則も崩れてしまいかねません。制度の原点に戻るなら、せいぜい、首長からのお礼状と地域と地場産品の魅力を紹介する冊子と、当該地域を訪問したら使える千円くらいのクーポン券で十分ではないでしょうか?

新元号「令和」を巡って

昨日、新元号が発表されました。私は偶然、伊勢神宮に居りましたので、早速、来る御代の繁栄を祈願して参りました。

「令和」の響きも字面も素敵だと思います。正直まだしっくりきませんが、慣れるのも時間の問題でしょう。31年前の昭和天皇の崩御と「平成」の発表は留学していたアメリカで迎えました。日本中が悲しみに包まれていたあの時とは違い、国民が期待に満ちて発表を待つことが出来たのは今上天皇の、国民に対する深い愛情の賜物に他ならないと思います。

さはさりながら、発表後まもなく配られた号外を我先に入手しようと乱闘まがいの混乱が各地で起きたようで、その様子をテレビの映像で見ていたく興醒めしました。新聞離れが進み、ニュースは専らネットでという人が増えているのに号外には過剰反応するのが不思議です。正直、iPhoneの新機種発売なんかに対する熱狂的な反応と本質は変わらないのではないかという印象を受けてしまいました。日本人は一体、どうなってしまったのでしょう。勿論、本当は私も号外が欲しかったので今日の朝刊と共に届けられて嬉しかったですけど。

さて、前置きが長くなりました。元号が変わり国民が閉塞感から脱してリフレッシュした気分になるのは悪いことではありません。しかし、今の日本はあらゆる面で、決して楽観視出来るような状況にはありません。少子高齢化の波は確実に押し寄せ、いわゆる「2025年問題」は目前に迫っています。国家財政も社会保障制度も持続可能ではないことは明らかなのに、課題を国民と共有して真正面から取り組むことなく、オリンピックだ、大阪万博だとお祭り騒ぎに浮かれている間に、日本国民はゆでガエルとなり、このままでは日本の国力は確実に下がり、ついには破綻を迎えます。
元号改正がもたらすポジティブな空気感は政治がもたらしたものではありません。政治は政治の責任として、空気感ではなく、新しい国家ビジョンと、それを体現する地に足の着いた政策を国民に示すことが急務です。

今後、政治の様々な側面について私の思いを発信して参ります。ご意見・ご感想をお待ちしております。