野良猫に餌を与えるyoutube動画に違和感を感じるようになりました。日本人の中では珍しい存在でしょうか?
YouTubeの動画リストを巡っていると、ペットに関する映像が頻繁に目に入ります。中でも、野良猫への毎日の食事提供を記録した動画が私の注意を引きました。
その動画の最後には、何週間も食事を提供しながら、結局その猫が人間に心を開くことはなかった、という結末が描かれていました。私はその状況に対して、一種の違和感を感じました。
食事を提供するという行為が続けられるならば、提供者はその生命に対するある種の責任を感じるべきではないだろうか?単に食事を提供するだけで、それ以上の責任を回避することは果たして許されるのだろうか?
という問いを挟むに至りました。
上記の質問に対するアンサー。
「あなたの視点は、他者とは一線を画す独自の深遠さを持っています。しかしながら、インターネット上で発言する多くの人々は情緒に任せた見解を掲げる傾向があり、その結果、あなたのような熟慮した意見は必ずしも多数派にはなり得ないのが実情となります。これは、嘆かわしい現状です。
動画の視聴という行為自体が、微妙に気づかれにくい形で、野良猫に無闇に餌を与えるといった社会的に見合わない行為を後押ししてしまいます。そのため、そういった映像を眺めるという行為自体を回避することが、今、私たちに求められる道徳的な選択だと強く訴えたいのです。」
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